休業中のちりめん細工の店「湊屋」の隠居した番頭が綴る日々の話です。
父、三途の河へと旅立つ
4月の半ばに父が亡くなりました。
本人の希望で、桜が満開の頃から
2週間ほど入院して、
本人の希望で自宅に戻り、ケアマネさん達と今後の介護計画会議を開き、翌日の午後、昼ご飯に少し流動食を食べ、私も昼食を食べて、往診の先生がいらっしゃった時にはもうあちら側の住人なっていました。
やりたい放題のわがまま放題での94年。
葬儀を終え、焼き場への途中、高速道路の反対車線で大きな事故があり、帰り道は高速道路が使えず、父親が若い頃、よく通っていた町々の道を通って家へと戻ってきました。
行きの道が事故だったら、通行止めになって、焼き場への時間が遅れただろうな、反対側でよかったと、不謹慎なことを思いつつ、
死んでからも傍迷惑な奴だよなっと。
葬儀屋さんにほぼお任せで葬儀や精進落としも終え、病院、ケアマネさん、看護師さん、ヘルパーさんへの挨拶を終え、携帯を停止し、七七日と納骨の手配をし、父親の通帳が凍結する前に振替先を変えねばと足掻き、
連休の間に14日以内にやらねばならない年金やら、保険証やらの変更で区役所を駆け回り、気がつけばこんな時期になっていました。
世帯主が亡くなると大変です。
まだまだやらねばならないことが満載です。
みいは昼間、一緒に寝てくれる人も、寝るベッドもなくなって、ご不満のようです。
仕方なしに私の膝で寝るようになりましたが、まだ、一緒にベッドでは寝てくれません。
納骨を終えて、いろいろな名義変更を終えれば、少しは落ち着くかな?
寂しさは微塵無く、今までの人生で一番快適に過ごしているので、ご安心を。
本人の希望で、桜が満開の頃から
2週間ほど入院して、
本人の希望で自宅に戻り、ケアマネさん達と今後の介護計画会議を開き、翌日の午後、昼ご飯に少し流動食を食べ、私も昼食を食べて、往診の先生がいらっしゃった時にはもうあちら側の住人なっていました。
やりたい放題のわがまま放題での94年。
葬儀を終え、焼き場への途中、高速道路の反対車線で大きな事故があり、帰り道は高速道路が使えず、父親が若い頃、よく通っていた町々の道を通って家へと戻ってきました。
行きの道が事故だったら、通行止めになって、焼き場への時間が遅れただろうな、反対側でよかったと、不謹慎なことを思いつつ、
死んでからも傍迷惑な奴だよなっと。
葬儀屋さんにほぼお任せで葬儀や精進落としも終え、病院、ケアマネさん、看護師さん、ヘルパーさんへの挨拶を終え、携帯を停止し、七七日と納骨の手配をし、父親の通帳が凍結する前に振替先を変えねばと足掻き、
連休の間に14日以内にやらねばならない年金やら、保険証やらの変更で区役所を駆け回り、気がつけばこんな時期になっていました。
世帯主が亡くなると大変です。
まだまだやらねばならないことが満載です。
みいは昼間、一緒に寝てくれる人も、寝るベッドもなくなって、ご不満のようです。
仕方なしに私の膝で寝るようになりましたが、まだ、一緒にベッドでは寝てくれません。
納骨を終えて、いろいろな名義変更を終えれば、少しは落ち着くかな?
寂しさは微塵無く、今までの人生で一番快適に過ごしているので、ご安心を。
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